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ほぼ日 |
たとえば「浮世絵を買う」ということと、
現代作家のものを買うということは
ちがうんでしょうか。 |
糸井 |
浮世絵のような世界はね、
過去が買えるっていうことが
嬉しいということもあると思うんです。
江戸時代に誰かが刷った。
葛飾北斎なり鈴木春信なり喜多川歌麿なり、
ちゃんと名前を知ってる人が描いた。
そのことが嬉しい。
でもね、過去の作品は、
ちょっとわかったような気になると
骨董を買うことと同じで、
知っているふりをしたくなるんです。
舐められなくないと思って、
「ああいいよね」とかっていう
セリフを言っているうちに
買うモードに入っちゃって、
ここでも「酔う」んですよ、やっぱり。
骨董好きのともだちがふたりいるんですが、
ひとりはものすごくセンスのいい人で
本当にお金を使わずにいっぱいいい骨董を買った人。
もうひとりはいっぱいお金使って
骨董界の有名人になった人。
で、彼らが言うには、
骨董というのは悲しいものだって。
悲しい人しか買えないって。
僕はもう全然骨董の世界を知らないから、
「へえ」と思いながらも、そそるんですよ。
やっぱり「買えないもの」と
お金の関係で動いているものって、
ものすごいマジックがあるんですよ。
その味わいは高い服も同じだよ。
だって何回着るのとか聞かれたら困るでしょう。
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大橋 |
本当困ります。本当に。
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糸井 |
それが何か人間のおもしろさだと思うので。 |
大橋 |
そうですね。 |
ほぼ日 |
糸井さんは作品として
「これは欲しい」と思った
現代作家はいましたか。 |
糸井 |
僕は若い頃、アイドルとして
横尾忠則さんを見ていたんです。
あの時代、
横尾さんっていう一つの生き方があるんだ、
って思ったら、勇気が湧いたんですよ。
で、横尾さんが自分と家族を描いたシリーズの
『自分』っていうシルクスクリーンがあって、
それを買ったことがあります。
美術としてということよりも
「横尾さん、僕はあなたが好きなんです」
って言いたかったんじゃないんですか。
やっぱりラブレターですよね。
それから映画監督のデヴィッド・リンチの絵に
魅かれたことがあります。
リンチは絵描きとしては新人で、
映画監督としてはものすごいのに
絵描きとしては自分の心が新人だって
本人も言っていて、
確かにそんな感じがあったんですよ。
自信のなさと自信が両方あって、
いい不安感があるんですよ。
それで、横尾さんのときと同じで
リンチに対するラブレターを
出したみたいに買ったんです。 |
ほぼ日 |
買いたかったけど買わなかった、
ということはありますか。 |
糸井 |
奈良美智さんですね。
奈良さんって昔から相性として
気になっている人で、
胸騒ぎがするんですね、やっぱり。
そんななか奈良さんの大きな絵を見つけて、
とてもいいなと思って。
買えば買える値段なのだけれど、
よいしょって思い切りが必要な金額で。
日曜日のお昼だったかな、
「買おうかな」って言ったらかみさんが
「買えば」って背中を押してくれて。
でもお金をおろしに行かなきゃならないって
ひと手間があったんですね。
そしたらもう1日頭を冷やして考えよう、
ってなっちゃうので、
そうなると、おしまいになっちゃった。
それはもう買えないくらいに高くなっています。
で、会社に置きたかったの。
みんながその色とか、
あの人の描いた顔の感じとかを、
木を植える代わりにね、見てればいいなと思って。
あるじゃない、中庭に太い木のある会社とか。
それと同じように大きめの絵があれば
みんながよろこぶと思ったんだけど‥‥、
それが最後の所有欲でしたね。
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ほぼ日 |
それと、タカモリ・トモコさんのあみぐるみは、
また違う意味がありますよね。 |
糸井 |
違いますよね。
この間、南伸坊の展覧会があって。
僕は友だちとして
伸坊とずっと付き合っているんだけど
伸坊の絵を買うっていうのは
何か友だちの手紙を見るみたいで
いいなと思ったので、
一つ置く場所考えてみようかなって思ったら
全部売約済だったんです。
で、伸坊の値段の付け方も
なかなかかわいい付け方で、
控えめだけどバカにすんなよの値段で。
ああいう作品の扱い方っていうのも
悪くないですね。 |
大橋 |
たぶん、作家の側として
作品に値段をつけるって
すごく微妙なんですよね。
あんまり低い値段だと本当にそれこそ自分が。 |
糸井 |
いためつけられてる気がしますよね。 |
大橋 |
そうそうそうそう。
で、あんまり高いとまたそれもそれで、
ちょっとなんか。
でもわたしは思うのは、
このテディ・ベア、数万円だったと思いますが、
もしも3000円だったら、
わたしのところいなかったかもしれないということです。
作品に値段をつけるっていうのも
すごく微妙なんですけど、
どの子もちゃんとした適正の値段で
相手に渡してほしいという思いがあるんですよ。
作るとか描くとかっていう側からすると
やっぱり誰かに買ってもらって嬉しいけれども
なるべく長いこと
生きててほしいと思うじゃないですか。
で、安い値段だとやっぱり
ぞんざいに扱われちゃうっていうことも
なくはないと思うんですね。
人間ってすごく不思議なもので、
ある値段になると簡単には捨てれないっていう、
すごく嫌なところもあると思うんですね。 |
糸井 |
それ、とても重要なことですよね。 |
大橋 |
ですよね。だからこのあみぐるみたちが
ちゃんとした値段で、
欲しい人の手の渡ることは大事だと思います。
わたしは作家の人に、
「絶対に作品をタダであげちゃダメ」
って言っているんですね。
あげちゃダメ。
あげたらもう行方不明になっちゃうよ。
すごく気に入ってくれているのなら
ちゃんと買ってもらいなさいって言うんですね。 |
糸井 |
なるほどね。 |
大橋 |
やっぱり買うということもすごく大事な要素。
すごく不思議な、微妙なものですね、お金って。 |
糸井 |
何でしょうね。あげちゃったらなくなりますよね。 |
大橋 |
なくなりますね。 |
糸井 |
心だけをやり取りしてるって、
やっぱりものすごく
不確かなところがありますもんね。
結婚だってハンコ押さなくても
いいんだと思うんですよ。
だって愛し合っているんだから。
だけどあのハンコがなかったら
きっと違うんですよね。 |
大橋 |
どっか違うんですね。 |
糸井 |
違うんです。押さないなら押さないっていう
意思がやっぱりあるんですよね、きっとね。 |
大橋 |
あるんですね。不思議ですね。 |
糸井 |
何だろうね、おもしろいね。
タカモリさんにしても、
今回、編み図を離れて、
自由につくってくださいということで
生まれた作品があるんです。
いままでは、人が同じものを作れるように
編み図を書きながら作品作りをしてきたのを、
思うままに編んでみてくださいと。
それを「ほぼ日」で
はじめて公開するわけなんですけれど。
まだまだこの人の毛糸を使った
イラストレーションというか、
毛糸を使った彫刻っていうか、
さらに可能性があるような
気がしているんですよ。 |
大橋 |
ええ。
タカモリさんは手芸の先生の仕事も
していらっしゃるけれど、
作家さんだと思っていました。
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糸井 |
いい意味で作家の変さがあるんですよね。
で、それはもうわかるんですよ。
この人作家だって。
作家が、学校の先生をしていたんです。
大橋さんに学校の先生をやれっていったって
無理でしょう。 |
大橋 |
無理ですねえ。以前展覧会に
古着の洋服でつくったくまを出品したら、
それを図にしてくださいと言われたんですよ。
そのときの具合でしか作ってないし、
そんなものはできないわけです。
タカモリさんも、
図をちゃんと描かなきゃいけなくて
誰かがこの図を見ていけばちゃんと作れますよ、
みたいなことをずっとなさっているとしたらば、
やっぱり不自由だと思いますね。
だから今回のように、爆発されていいと思います。 |
糸井 |
タカモリさんのあみぐるみは、
大橋さんのイラストレーションと同じで、
印刷されて仕事になるもの、
撮影されて仕事になるものだったんですよね。
で、もう悲しい話なんだけど
そうやってつくったものを、
ずっと置いておいても、
この先も作らなくなっちゃうから
ほどこうと思ってたんですって。 |
大橋 |
あら。そんな‥‥。 |
糸井 |
ゴッホとか、昔の画家は
一つの絵の上に描きましたよね。
同じですよね。
で、僕たち、それを聞いて
止めようと思ったんです。 |
大橋 |
止めてもらわないと。本当。
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糸井 |
それで「ほぼ日」紙上で
展覧会を開いて、
みんなに見せたいと思ったんです。
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このあと、「あみぐるみ展を、紙上だけでなく、
じっさいにできないだろうか」という話になり、
大橋さんのもつ、イオグラフィックギャラリーを
1週間、お借りして、実現することに。
それが今回開いている「タカモリ・トモコ全集展」です。
そして、「ほぼ日」の「タカモリ・トモコ全集」は
2008年4月、「ほぼ日」紙上にオープンします。
毎月すこしずつ、発表していきますので、
どうぞ、たのしみになさっていてくださいね。 |